大海原を行く
大海原を行く
思うに、大昔、島から島へ渡った人達も
くり舟であろうとも漁に出ているうちに、潮や風を読み自在に乗りこなせるようになった時、
水平線に見えている島にいけそうな気がしてきたと思う。
だから私は、島伝いで大昔、人が移動してきたことに納得している。
さてこれだけ乗れるようになると体温の保温(と、ふやけた肌の保護のためにも)のためにスーツが欲しくなります。ウェットスーツがあれば冬でも乗れるし、冬のほうが風も強く安定しているからです。
より早く走りたくて強風を求めるのです。
ウェットスーツは、漁師のものと思っていた最初の頃はウィンドブレーカーを着けるだけで冬でも寒さも忘れ、風に乗って走ったものです。
そこにウェットスーツを知ってからはもう冬を忘れるほど快適と言えるプレーニング(ボードが水面から浮き上がって滑走する、次元の違う走り)の日々。
冬の強風で練習(遊んだ)した。仕事はあまり記憶が無い。
冬は、週に3、4日風が吹く。17:30くらいから海へ出た。
ですからこの頃スーツと言えばウェットスーツしか持っていませんでした。黒のスーツ、礼服です。
で、練習跡には飯も食わず仲間とそのまま飲み屋へ直行、反省会。
お店の人に、カッコウを問われると、これはスーツだからと言えば許してくれた。いい時代でした。
あのプレーニングは、人生を狂わしてしまう魔力があった。今にして思えば、時代の先端を行っている感が加速させたようだ。
ここが大事
これから始める皆様には、先輩の失敗談を聞いてくれぐれもお間違えの無いようにして頂きたい。
奄美海族塾は、そこまで心配しています。
ちなみに、遣唐使の時代、航海は冬のこの風を利用したようです。外界は荒海で畏るべしと思う。
その頃一か八かの航海でもそれなりの理由があったようです。詳しくは、奄美道の島の歴史をご覧ください。
これでもう伴奏船さえあれば、水平線に浮かぶあの島には行けると思ったものです。
そして、チャレンジする日が来ます。
つづく
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