会社沿革

2022.4.1より念願の会社運営となりました。社名は、かねてより設立してありました有限会社の社名を変更し名実ともに海を通して島の発展に寄与することを理念としています。

1980年代、海の家の「貸し出し」は 浮き輪、「東京トラベルセンター」が持ち込んだビーチパラソルをきっかけにしたビーチパラソル、市販されて間もない丸型の水中メガネ(漁師は、モンパオの幹から削り出した今でいう水中ゴーグル)、販売品は、製品化されたばかりのカップヌードル、缶ジュースであった。初期のヌードルのCMはヨロン島であった。
ヨロン島が日本の最南端でやがてヨロン島ブームとなる。

観光で島が賑やかになった頃 日本にウィンドサーフィンが伝わる。
同時にマリンスポーツというジャンルが大衆化されていく。
そのような40数年前にヨロン島においてマリンスポーツで島おこしを目指して起業

今やマリンスポーツは夏の海遊びの定番になった

奄美大島に移転した頃は、南の島観光は、沖縄が人気となり奄美大島は、空白地帯であった。が、海山の手つかずの自然に観光による島おこしの
特にマリンスポーツによる島おこしの可能性を信じ進んできました。

2022.6には観光客の増加に伴うマリン用品の無責任なレンタル業者の増加に警笛を鳴らし安全講習会とスノーケリングインストラクター養成講習会を開催。観光連盟などにも安全対策を働き掛ける

2022/7 ビーチミニライブ・島魚による寿司パーティイベントを開催

オーナーインストラクターの経歴

1979(s.54) ヨロン島観光協会事務局長
1980(s.55)3月 海開き 沖縄~ヨロン約28km ウィンドサーフィンレース全国大会開催
1980(s.55)7月 ウィンドサーフィンスクール  南西諸島初!?季節限定開校

与論島ー沖永良部島 約40km ウィンドサーフィン横断

1981(s.56)4月 マリンサービス設立
旅行会社、大手広告代理店と提携し、各種ツアー、イベントを実施
JUNONヨロンクルーズ船上マリン講師、ポカリスエットWSF大会、シンビーノマリンスクールなど
1987(s.62)4月 (株)ヨロンプリシアリゾート ウィンドスクールを受託
勤務中の海の事故により同リゾートに入社
1988(s.63)4月 マリン課長
1989(H.元)  売上 約6倍増達成
1990(H.2)  プリシアの海開きイベント開催、ウィンド大会開催
1~3月 月刊ウィンドサーフクラブとタイアップ 日本初冬場のウィンドツアーを実現
全日本クラスおよびワールドカッパーの合宿実現
1991(H.3)3月 同リゾートを退社
1991(H.3)6月 マリンサービスコンサルタント設立
1992(H.4)4月(株)日本酸素のリゾート開発事業部と提携
奄美大島から石垣島までマリンサービス事業展開の企画段階より参画
1993(H.5)  旧巡視船あまみをダイビングポイントへ
ヨロン町で廃船となった旧巡視船あまみを買取りヨロン茶花湾沖に沈め(日本初)ダイビングポイントとするとともにダイビングフェスティバルを企画開催
ヨロン町へダイビングポイント用の海中モニュメントを企画提案実現
いずれも現在 ヨロン島のダイビングポイントとして人気である。

1994(H.6) (株)日本酸素のマリンサービス拠点として奄美大島を提案・サポート
1995(H.7) ばしゃ山村とカレッタハウスのマリンサービスを受託営業
1996(H.8)ヨロン島への飛行機の小型化にともない活動拠点を奄美大島に移転
コンサル時代に南西諸島の海を調査済みで都会に近く沖縄より自然の残る奄美に決定した
1997.6.28~30 ウィンドサーフィンオリンピック予選誘致

1998(H.8) 奄美の旅行パンフレットのイメージをマリンスポーツの島に変えるべく(株)ばしゃ山村へマリンサービスの自社運営を提案。奄美の客層の若年層への拡大がJASの施策もあって実現

マングローブカヤックツアーと隠れ浜ツアーを立案実施(奄美初)

1999 バブル崩壊も相まって社会現象もみられたノストラダムスの大予言の年に解散

2000 景気回復とともに再起するべく現在地で施設の手作り開始
2001 奄美海族塾 設立
2003(H.15)手花部小学校マリンスポーツ体験講師
以降2022継続中
2009(H.21)7月 回収CO2によるウニ養殖実証試験がふるさと財団に認定
2010(H.22)7月 夏休みの子供向けマリンスクールを実施
2012(H.24)6月 笠利湾の浮泥・沈殿泥(赤土)除去実証試験が奄美市のきょらの郷事業に認定 故郷の海再生事業着手
2018.3 MJC日本マリン賞 を受賞
施設を逐次拡大 宿泊コテージ・シャワートイレ棟・キャンプバンガロー・水上バイク・多目的ボート
2023移動式海遊びステーションの建造

社会貢献活動
2003(H.15) 
4月 笠利町前肥田駐在員 集落区長 健康づくり推進委員
5月 笠利町社会福祉協議会評議員
7月 手花部小学校評議員
9月 手花部小学校マリンスポーツ体験講師
2004(H.16) 
4月 上記各委員 再任
12月 笠利町基幹型、地域型在宅介護支援センター相談協力員 民生委員、児童委員
2005(H.17) 
4月 上記各委員 再任
奄美農業協同組合笠利支所運営委員
6月 笠利町介護保険事業計画策定委員 手花部校区体育協会長
2006(H.18)  
4月 上記各委員 再任 奄美市行政改革推進委員会委員
2007(H.19)  
4月 上記各委員 再任
2008(H.20)  
3月 上記各委員 退任
4月 民生委員、児童委員留任 マリンスポーツ講師継続 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員
7月 奄美市行革推進委員 再任
11月 奄美市総合計画策定委員会委員
2009(H.21)  
3月 奄美市総合計画審議委員
7月 回収CO2によるウニ養殖実証試験がふるさと財団に認定
2010(H.22)    
養殖の試験と装置の改良
4月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任 手花部校区体育協会長
7月夏休みの子供向けマリンスクールを実施
8月 奄美市庁舎検討委員会委員
10月 奄美市行政改革推進委員会委員再任
11月 地域活性化を図るNPOシーサイドてけぶ設立
2011(H.23)  
2月 特定環境保全下水道事業推進協議会委員
10月 奄美群島UIOターン支援協議会委員コーディネーター
11月「道の駅」奄美 人 もの交流プラザ設立委員
2012(H.24)
4月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任 
6月 笠利湾の浮泥・沈殿泥(赤土)除去実証試験が奄美市のきょらの郷事業に認定
2014(H.26)4月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任
2016(H.28)4月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任
2018(H.30)4月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任
2020(R.2)8月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任
2021(R.3)8月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任 
2023(R.5)8月 奄美市笠利町地域自治区地域協議会委員再任 
2023(R.5)8月 奄美市総合計画策定委員会委員 再任 

a:905 t:1 y:1