渡り鳥と航海時代

海と生きるものとして長年考えてきたことがある。

あの水平線のかなたに陸地があることを信じて航海を決意した人のことである。
果たして、片道切符の無謀なチャレンジだったのか?

まずは、航海技術について
以前にも何かに書いたが、何年も天気、気候をよみ
島から遠出をして漁をするうちに 見えている島には
渡れる自信みたいなものが芽生える。
もちろんその間に、船の改良や道具の進化もある。風や海流の規則性も分かるようになる。
決行の日を決めて 準備をしチャレンジするだけとなる。
この時点で 失敗はあり得ないほどの自信になっているはずである。

が 見えない大陸にどうやって行こうと思ったのかという点が
不思議であった。つまり 流木やヤシの実からの推察だけでは思い切れない。死を賭してなら別だったろうけど。

ふと思いついた。この地ではなく 出発地点で考えなくてはならないと。すると 海外との交易拠点の関門海峡では如何に。

渡り鳥です。島の渡り鳥は、列島に沿っていくので不思議ではない。ところが 彼の地の渡り鳥の大型のモノには九州を南下せず五島列島を経由し大陸を目指すという。
そして 春には帰ってくるという。これが毎年群れで行われていれば陸地の存在を確信できる。

あとは 何日間も航海するであろうことを想定した準備が整えば行く決心がついたか?

そこにチャレンジする者は、洋の東西を問わず 貧困から抜け出したい人たちである。

季節の変わり目に つまり 季節風の吹き始める渡り鳥の頃になると航海者のことを思う。

続く

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